お盆に黄泉がえって来ましたよ。

2018年12月22日


どうやって書いてたかな 😳 ?

約1年放置してしまいましたので 😉 、、、

短期間でスキルアップを果たしていたワードプレスの編集もすっかり忘れてしまいました。

ただブログ更新状況とは違って、リアルの生活はノンストップでした 😀 。

現在、私は4足のわらじを履いています。

行政委託の相談支援員、フリーソーシャルワーカー、児童発達障害支援員、PTAの会長です。

どの役割も、これまでの人生では受ける事のなかった評価を得て、特性を活かした働きが出来ています。

しかし、私の生き方、考え方を大きく方向転換をしたわけではなく、自分がブログを書き始めた頃の実践である、前ブログ「発達障害者である専門職のブログ」で書いて来たことの延長にあります。

つまり、自分の障害や特性を受け入れて自分らしく生きる為の、模索と実践をそのまま関わる人々との交流に役立てているのです。

この約1年の実績としては以下の様なものがあります。

行政委託の相談員

多数の方を新規相談からその人らしく生きる道筋を示し「夢」を叶える一歩に繋げていきました。

精神分野に特化した事業所が市内に一つしかないので連日新しい相談が寄せられます。私は自分の障害を伏せて業務を行っていますが、ピアな立場を明かさなくても相談される方の生きづらさへの共感が出来ることで、本音を話せて貰えて、語ることが困難なニーズを代弁し言語化することが出来ます。

そして、障害特性を理解するとともに、本来持っている素晴らしい力を発見するアセスメント(事前評価)が出来ると思っています。

最初に相談に来られた方は、これからの生き方が見えずにどんより 😐 と沈んで来られるのですが、私との話合いを通じて、問題が整理され、本当の気持ちが表れ、目指す生き方が明確になり、夢に向かった方向性が見えてくることで、目に輝き 😈 が宿っていくのです。

その様な1日1日の積み重ねが半年も立つと確実な利用者の増加と前向きな変化という支援実績として表れて来ました。

事業所からも評価を得た事で、事業所の年度まとめ、来年度方針の作成を行い、自分が携わって来た仕事をパワーポイントで視覚化して関係者向けにプレゼンテーションをさせて貰いました。

それを見て下さった法人顧問の方は過去20年で最高のプレゼンテーションだったと賛辞を与えてくれました。プレゼン発表などはこれまでの仕事で行って来ましたが、評価を得ることはありませんでした 😥 。

私はやっと自分の長所を人に役立てて存在を認められながら生きる場所を見つけたと感じています。でもそれは自分の力だけではないと感じています。

私の上司やスタッフの皆様はキャリアのある支援者です。そして現場の支援者の方々には体感で利用者を理解する嗅覚みたいなものが備わっていると感じます。日々の相談支援の中では医師がつけた診断名だけが利用者の特性を理解する手がかりにはなりません。

視線、動作、話し方、考え方、などをコミュニケーションを通じて体感し、どう行動して行くかを見守りながら理解を深めていくものだと実感します。その様なベテランの支援者から見ると私の特性は見抜かれているのではないかと思います。その上で私にとって働きやすい環境を配慮をして下さって力を発揮させて貰っていると感じます。

配慮を薄々と感じるのをショックに感じることもありましたが、自分の個性を否定せずに受け止められて長所を評価して貰うことで自尊心が回復していきました。。

以前の職場では、発達障害だから任せられる仕事が制限され存在価値が軽んじられる中で気力を奪われていったのと真逆と言えます。そこで得た自信を元にPTA会長などという高ストレスの仕事にも挑戦してみようと思いました。

PTA会長

ほとんどが女性で構成される中で決して自信がある訳ではありませんでした。

むしろ女性の感情の機微を読みながら、適切な距離感を保つなど、、、ハイとても苦手 😳 です。何を血迷ったかまさに超不得意分野 💦 です。それでも自分を変えながら役割を全うすることが、多くの人に支えられて自分が生きて来た意味だと思いました。

根本にある想いは声なき声を拾うことです。主張がしにくい方の意見を聞き、育児の悩みを相談しやすい風土をつくり、行政にも働きかけることを目指しています。外国籍の保護者のコミュニケーション支援の仕組みをつくったり、今後の児童福祉計画について市役所の責任者と意見陳述を行うなど、仕事と両輪の活動を展開しています。

フリーソーシャルワーカー

まさに制度のハザマを埋める支援を行って来ました。

保健所と連携し医療機関を選定、困りごとの要点を医師に代弁して仲介を行い、受診同行して医師と連携し、心理テスト、療育手帳、精神保健福祉手帳を、申請から受給まで超短期間で果たしました。

また、社労士から勘所を盗み障害年金申請、診断書の依頼、役所の人が感嘆するほど詳細な成育歴の作成、年金事務所との交渉。

更に大掛かりな環境への働きかけとしては、病状の根本を無自覚なDVという家族関係に発見したことから、円満な調停離婚、不動産業者と交渉し移住支援、警察・生活保護課と連携した生活保護申請、就労移行支援事業所と連携し2ヶ月で大企業の障害者雇用への就労などななど、

職域を越えてかなりE難度の支援を果たして来ました。

児童発達障害児支援

PTA活動を通じて実感した児童福祉分野、委託相談・フリーソーシャルワークを通じて感じた家族関係・成育過程の重要さを実感し、発達障害者支援の根本を学びたいと思いました。未だ体当たりで掴みきれていないことばかりですが、発達障害を持つこども達を理解し、受容し、自分らしく人生を切り拓ける強さを育てていきたいと思っています。

自分の可能性を拡げながら生きて来た道が相談支援の引き出しに

とりとめのない近況報告となってしまいましたが、私は発達障害者としての特性を活かしながら自分の可能性を追求し、その生き方の体現を支援の最大の引き出しとして相談される方々に寄り添って来ました。

その結果、私が相談支援を行った方々、つまり私と人生を交差させた方々が、夢に向けて一歩一歩前進をしています。そこに「発達障害者である専門職」としての、これまでの苦悩や模索を社会に役立てられる時が来たと実感して、生き甲斐を感じている昨今です。

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