毒親と呼ばれないように

2019年2月20日

私は自分の経験と資質だけで子育てを行えば毒親にしかなれませんでした。

幼少期に母は家を出て、祖父母は圧力を持ち、父は極端なスパルタから極端な放任になっていきました。

私が家庭のぬくもりを知ったのは、私が18歳になってから父が再婚をしてからです。人ととして初めて正対してくれる義母のおかげで、私は生きる力、学ぶ力を得れるようになりました。

それから8年後に私は最初の結婚をしました。翌年にこどもが産まれました。

しかし、私にはまだ親になる資格がなかったのです。

仕事と生活と育児を両立させること、自分の生活を律して、教育的にこどもに関わることは、自分のことで手一杯の私には出来なかったのです。

やがて、私は前妻に一人前に扱われなくなり離婚に至りました。

こどもを失った後悔と寂しさはすさまじく、生活の節々に差し込みました。自分が親として出来る時にしてあげられなかった不甲斐なさに泣きくれました。

しかし、私は再び家庭を持ちました。

親になる資格がない自分の元にはこどもは産まれないと思って、それならそれでいいと思っていました。

だけど、恵まれたのです。子宝に。

子宝に恵まれた以上は今度こそなろうと思いました。

「毒」ではない親に。。。

二度目の子育ては「反省」と自分の経験を信じずに「学習」を重ねて、不足部分を「社会的な補完」して貰って勧めました。

今でも親としては手探りの中にはありますが、無事にこどもを育てて就学期を迎えることができました。

詳細は、以下記事です。

https://xn--65q003o.xyz/parenting-difficulty-of-sequel-developmental-disabilities/

行政の保健師さん、保育所の先生、義父母、地域の高齢者、先輩ママなどの力を借りたおかげで、こどもは私の「毒」を薄めながらすくすくと成長していけました。

また、障害児童施設で勤めたことも、養育者としての大きな経験値となりました。

なぐる、ける、ほえる、なく、すねる、けんか、下ネタの連発など、、、むきだしの発達障害特性をガツンとぶつけられました。。

逆にいうと発達障害児童は余計な、おひれのつかない、ある意味シンプルに特性を理解し、支援を組立てることが出来ました。

組み立てたものをどう対応に活かして、こどもに響かせされていくか?その実践の際に役立ったのは、発達障害分野でない児童書の知識でした。

そんな「毒親」にならない葛藤と、発達障害児支援の中で学んだ書籍を紹介します。

きりかえ・言葉かけ

こどもは自我が芽生え始める2歳~6歳頃まで、イヤイヤ期や反抗期などで手を焼かせてくれます。

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しかし、その自己主張とぶつかりを経て、「がまん」「協調性」「距離感」などの社会性のスキルを学んでいきます。

ADHD特性のつよい子はイヤイヤ期をこじらせた様な主張と折り合いのアンバランスさがあります。

児童書、保育の視点には、手を焼かせるこどもの気持ちを大きく理解し、しっかりと気持ちを受け止めた上で、成長を促す働きかけのヒントがありました。

モンテッソーリ教育

モンテッソーリ教育はこども持つ「生きる力」に焦点をあてて、自立を引き出す為におとなはサポート役として環境を整える関わりをします。

さすがに精神分野の先進国のイタリアで考案されたストレングスアプローチだと思います。

こどもの発達段階を理解しその子の出来ることをなるべく体験させながら、成長を引き出します。

シュタイナー教育

シュタイナー教育の発達を7歳周期で見て成長過程あった教育を促していきます。

0~7歳では身体をつくり、7歳から14歳ではこころを育て、14歳~21歳では思考を育て、こどもの成長にあわせて点数をつけるのではなくのびのびと成長を見守ります。

ペアレントトレーニング

発達障害を持つ親としての自分を見つめ直して、関わり方を改める学びとなりました。子育てとともに、本当の親としても育っていくための教材です。自分の変化を通じてこどもものびのびと自己肯定感を伸ばしていくのを感じました。

各自治体で講座は行っていますがニーズに対して講師が少なすぎて、定員オーバーでした。しかし、今は書籍でたくさん学べる内容があるので助かります。

ただでさえ難しい子が、難しい時期になると、難しさの2乗といった感じです。育っていく自我、進路、学業、性の問題、思春期の問題への言い聞かせを促します。

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発達障害と見てしまうと「それは特性だから身に着けられない」「知的に理解する力がない」などと諦観をしてしまう支援者もいました。

しかし、私は人を理解する視点として理解し、受容し、できること与える過程は同じだと思っています。ただ、発達する順番が違うだけです。

現に私は、17歳までまともに本を通読することが出来ませんでした。集中する力が育ってなかったのだと思います。遅れて成長した集中力は18歳を超えてから一冊の本を読破することを皮切りに一気に年百冊と発達しました。

本を読めるまでは小学生の様なマンガ的な世界観で物事を考えていました。本を読み知識が増えることで世界の見え方が立体的で重層的に組み直されました。

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リンク先:発達障害者である専門職のRE

そんな自分の経験からも、成長する順番が違っていても、何かのきっかけで幼児期の埋め合わせが出来ることで、今までの経験とリンクして、一気に問題行動を修正してしまえることもあることを信じています。

したがって、私は知能テストによる知的障害という基準を固定的とは思っていません。ちょっとしたボタンの掛け違いを直すことで、改善する能力があると思っています。

それは仮説ではなく児童福祉の現場で育児書のノウハウの応用で、知的成長と落ち着きが相乗して得られる実践を経験して来ました。

児童書にはそれぞれの年齢に応じてこどもが出来ることを、自信と肯定的な働きかけを通じて獲得していく方法が載っています。

ただ、バラバラに成長するその子の発達段階を見極めるのにはすこしテクニックを要します。

発達障害書籍と合わせてお読み頂くと、見えなかった発達障害特性のカギが見つかるかもしれません。また、家族の方にとっても対応をスムーズにする為のワザになると思います。

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